2007.11.25

自己表現の手段として(宮城)

梅田で開催された、edgeのファイナルに参加させて頂きました。
高校生のファイナリストの姿が印象的でした。

edgeは社会起業のビジネスプランコンテストで今回で4回目の
開催、自分は毎年審査員という立場で関わらせて頂いています。
http://www.edgeweb.jp/finalist.htm
そこで登場したのが、プレゼンの冒頭で、
「もう僕も18になってしまいました」とのたまわった少年でした。

「不登校や引きこもりの人たちが抱えている思いを、ネットで
の小説を通して伝える仕組みをつくって、社会復帰への第一歩
を提供する-」というプランを発表してくれました。

最後の講評コメントでもしゃべったのですが、
その、強さとナイーブさを合わせもった彼の姿が、どういううわけ
か、尾崎豊を彷彿させました。
(これは神田昌典さんや石川はるえさんも同時に同じことを思っ
たらしいです)

善し悪しは別として、自己表現のスタイルとして、社会起業家と
いう選択肢を持つ若者が登場してきている、という姿をあらためて
見せつけられた気がしました。

たとえば、3、40年前なら、学生運動の闘士であったかもしれない、
あるいは20年前ならロックミュージシャンだったかもしれない。
少なくとも当時のロッカーと同じスタイル、メッセージで、
社会起業家を選ぶ、と宣言する少年がそこにいました。

ただ、かつてと違うのは、権力を強奪しなくても、また商業主義
の力を借りて有名人にならなくても、たとえばネットを使って、
一歩を踏み出すことへのハードルは劇的に下がっているし、
事業を通しての挑戦は、社会のレスポンスを受けながら、自己
満足に陥らず、率直に自らを磨いていくチャンスに、大いに恵
まれているのだともいえます。

彼や彼のような次なる存在たちが、よい成長を重ねてゆけることを。

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2007.04.26

ひょんなことから、(宮城)

ひょんなことから、今日、教育再生会議に呼ばれていってきました。
いろんなご縁が重なり、協力をさせてもらうことになりました。
実際にいってみて、委員のみなさん見識のある方で、真摯に大
事な議論もされてるんだなと思いました。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/index.html

ただ、やはり今という時代に、特に教育を語るなら、ナントカ
会議に、よくわからないプロセスで選ばれた国民の代表が集
って、世間から注目され、重要な意思決定がされていったりす
る、という構造は、しっくりはこないなあ、と思いました。

この会議ではメインメッセージで「社会総がかりの教育再生」を
謳っています。今回は、その「社会総がかり」を促進、演出して
いくためにはコーディネーター、プロデューサーのような人材の
育成、輩出が必要になる、というお話を、アスクネットの毛受氏
とともにしました。
その必要性だけはどうやら伝わったらしく、委員からは「こういう
コーディネーターが必要だということは、この会議で骨太に強調
していくべきだ」という話が相次ぎました。

教育改革の話は概念的なレベルでの議論や、当事者として頑
張っている教育者の方の現場での奮闘のお話に終始してしま
い、結局誰が責任をもって、どうやって、どこまでやるのか、とい
う話までたどり着けないというのが常であったりします。
概念の議論だけして、あとは行政、教育委員会という流れになる
のですが、そうした改革は、「社会総がかり」で、といわれる現況
の自律的、自発的な参画を必要とする変革ニーズの答えになり
にくいといえます。

そこで、担い手たる人材をいかに増やしていくかという具体的
ソリューションの戦略は会議の場では新鮮な存在だったらしく、
副座長の資生堂の池田相談役が「いちばん面白かった」と感想
をおっしゃっていたらしいです。

今後の絡み方はまだわかりませんが、このようにご縁が重なっ
てくるということな何か役割があるんだろうなあとは思っています。

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2006.07.13

同じ星の下 (宮城)

「ジネディーヌ・ジダン」には、妙な親近感があるなあとはずっと思っていました。
ひとつには同い年というのがあります。しかも誕生日が4日違い。
彼は私がこの世に生を受けた4日後に生まれているわけです。
彼のほうがずっとおっさんくさいとは思いますが。

そしてさらに、ワールドカップ決勝戦の3日ほど前、その親近感の理由として、あ
る事実に気がついて、独りほくそえんでいました。


私の名前は、音読みすると(ジダン)と読める。


まったくつまらないことですが、ひとりで納得をしていました。
たしかに、小学校の頃、「自分は政治家・作家風に音読するとするとジダンだよ
なあ」なんてくだらないことをボーっと考えていたような記憶があります。

フランスが優勝したら、それを自慢しようと思っていたのですが、決勝は残念な
結果となってしまいました。
頭突き事件の件はマスメディア等で散々好き勝手に語られているので、あまり
ここで書くこともないですが、何をおいても守りたいものを、自分以外にもってい
るような誇りを持ちうる人間でなければ、これだけ真に人を魅了する仕事はでき
なかったと思います。

彼はサッカーの試合の中でこそ「マエストロ」といわれるように華麗ですが、
ピッチを離れた人生の側では、何かヘマな、不器用なところがあるかんじです
ね。
あのテレビ会見しかり、ファッションセンスしかり。

しかし、そんな一途な生きざまが醸し出す愛嬌こそを「神が愛する」のでしょう
か。私は、本当に偉大な仕事を遺すのは、そんな人間ではないかと思ったり
してます。

同じ星の下に?とまではいかなくても、勝手に親近感を持っている自分にとっ
て、またそのへんがとても共感してしまうところなのです。


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2006.06.19

6月19日(宮城)

本日6月19日は私の誕生日でした。
(お祝いしてくださったみなさま、ありがとうございます)
ただ、自分のなかでは数年前から、この日に新しい意味が加
わりました。

昭和20年のこの日、6月19日に、祖父の弟さんが、戦死していた
ことを知りました。

5年ほど前に、徳島の実家の仏壇で6月19日の日付がたまたま目
に付いて、母に
きいたら、沖縄の海で亡くなったということでした。7月には沖縄戦
が終わっているので、もう少し持ちこたえていれば助かったんだけ
ど、と悔しそうでした。もちろん、遺骨もありません。二十歳そこそ
こで、結婚もせずに逝ったということでした。

大叔父が戦死をされたということは知っていましたが、その日付ま
では知りませんでした。だからといって、自分になにができるという
わけではないのですが、なぜかとても気になって、沖縄に出張に行
ったときに、国籍を問わず沖縄戦の戦死者の名前が刻まれている
「平和の礎(いしじ)」を訪問しました。
その刻まれた名前の多さ(約24万人)に茫然としつつ、まさにその
礎のうえにある、今の日本、そして自分について考えていました。
命に代えても守りたいものがある、と戦った彼等は、その先の日本
に生まれた今の自分たちになにをのぞんでるだろうな、と素朴に思
いました。それから、この6月19日は、自分のなかでも生と死が交
差する不思議な感慨のある日になりました。

話は変わりますが、先週アミタ株式会社の熊野社長とお会いしまし
た。熊野社長は産業廃棄物処理の仕事を軸に、リサイクル業界の
改革を牽引し、総合環境ソリューション企業として株式公開を果たさ
れました。哲学者のような経営者です。この日は、深い体験に基づ
いた、示唆に富んだお話を頂きました。そのお話のなかで「最近の
若者たちのあいだで『人に迷惑をかけないかぎり』という考え方があ
るけど、あれがダメにしている。もともと人は生まれてから、生きてき
ただけで、親をはじめ大いに人に迷惑をかけ、お世話になっている。
その恩返しをする、世の中のお役に立たせてもらうというのが本来の
姿のはず。むしろそうしたことを教えてやるべきだ」とひときわ力をこ
めて語ってくださいました。迷惑をかけない限りはなにをしてもいい、
という自由が逆に若者を迷わせている、と。

そんなお話も思い出しながら、自分にとって6月19日はありがたい日
なんだなあとあらためて思ったりしてました。
自分のこれまでを振り返っても、ひとりで生まれ、そして今生きてい
るのではないと
いうことに少しづつ気づき、感謝をしたり、責任を感じる人が増えるほ
ど、引き下がれない決意は強くなってきた気がします。

生と死を掛け合わせて、自分が今ここに、生きている意味をあらため
て問い直してくれる、よい日を頂いたことに感謝したいです。

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2006.04.04

今、必要とされている人(宮城)

今日は、政府の若者支援の取組みを担当されている方が、相次
いでオフィスに相談に来られた。
18年度の政策を効果的にするために、知恵がほしい、もしくは
業務を委託できないか、という内容であった。
年々、ETIC.へのこうした相談は増加している。

若者支援やベンチャー支援の施策には政府も力点をおいており、平成15年度
から始まった「若者自立挑戦プラン」(内閣府、厚生労働省、経済産業省、文
部科学省等が連携 年間500億円超)をはじめ、毎年巨額の予算が配分され
ている。
しかし有効に使われているとは言い難い。
若者の問題や少子化の問題、地域活性、環境等現代の「社会問題」とさ
れるものは、単に助成をしたり、制度をつくったり、あるいは施設を作ったり設備
投資をするなど、従来の政策のアプローチではなかなか成果があがらないのが
現実である。
イベントや支援センターに人が集まっても、予算が切れたらそこで途絶えてしま
うなら、一時凌ぎにはなっても、問題の解決には至らない。
これまでの予算を使って得られた経験や資源をいかして、取組みを継続し、本
質的な課題の解決へ成果を挙げていくために何が必要か。
結局、その担い手となる人が必要とされている。
ETIC.でいえばCPである。課題解決の現場にはプロデューサーが必要とされて
いる。
結局このようなニーズで相談に来てくださるわけだが、
「この事業やってくださる方いませんか?」といわれても、すぐにうってつけの人
はいない。
結局これまで日本社会の構造のなかで、ビジネスモデルも成り立たず、プロが
育つ基盤がなかった。
そこに挑戦しているのがチャレコミ事業である。
まさに、これから社会的課題や地域が必要としている人材である。
役所の方には、「これから育つところだから、ちょっと待ってて」と申し上げた。


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2006.02.27

身内のように(宮城)

今年のチャレコミ事業の評価プロジェクトで、各地のプロデューサーたちの現場
をまわっています。本日は、札幌はキューベットのオフィスを訪問しました。


そこで、チャレコミ名物の「バーチャルボードミーティング(仮想理事会)」と
いうことで、キューベットの取組みを支えてくださっている支援者、事業パート
ナー、利用者のみなさんに集まって頂いて、今年のキューベットを振り返り、
今後のビジョンを議論する場を持ちました。

全般的にきわめて前向きな議論でしたが、なかには期待もこめて、まだ整ってい
るわけではないキューベットのサービスや社内の体制に対して、辛口のコメント
もみられ、代表の横井氏が汗をかく場面もありました。
ただ、コメントは厳しいのですが、そうした辛口のあとには、「まあ、私は横井
くんのお母さんのつもりだから」とか「横井君は僕の弟みたいなもんだと思って
るからねえ。」など、フォローを必ずいれて下さっていました。
それは、まさに身内のような、温かいまなざしでした。

これは、すごいことだなあ、ありがたいことだなあと思いました。
結局、みなさんは、事業が魅力的だからとか、地域にその事業が必要だから、と
いった論理的な理由ではない何かをかんじて下さっているのだと思います。

だからといって、それに甘えてしまうわけいはいかないですが、いくら自らは完
璧を自認し、質の高いサービスを行っているつもりでも、人から愛されなければ
この事業は立ち行きません。

横井君に限らず、最近地域でCPのみなさんと接していて、彼等の腹がくくれてく
るに比例して、支えてくださる愛の力が大きくなってきているように思います。

3月18日のフォーラムでは、全国からみんなが集って、そうした力を共有して、
また新しいチャレンジャーや支援者が生まれてくる日になればと思っています。
http://www.challenge-community.jp/forum2006/
みなさんの周りでも、こうした場でスイッチが入りそうな人がいたら、ぜひこの
へんな世界に巻き込んでください。

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2006.01.31

取材攻勢(宮城)

今日、NHK教育で、ETIC.の社会起業家育成の取り組みが紹介された。
意外とこのテーマが正面からテレビで採り上げられることは少ない。


その番組は、「あしたをつかめ!平成若者仕事図鑑」。
http://www.nhk.or.jp/shigoto/
主人公は、ETIC.が主催するNEC社会起業塾の卒業生であるフローレンスの駒崎く
んであった。
いろいろな関係者に支えられて、奮闘している姿がうまく映し出されていて、
創業の段階から知っている私にとっても、感慨深い映像だった。
もちろん事業としてはまさにこれからで、ヤマはいくつも越えなくてはならない。
まだその基盤さえ、整っているわけではない。
しかし、間違いなくいえるのは、サービスインしてから、彼の顔が変わった。
起業家という選択は、誰でもとりうるものではないし、
彼にとっても一生その立場でい続ける必要があるかはわからない。
ただ、小さくても、責任ある現場をもって、アクションをはじめる。
多くの人に支えられ、感謝せざるをえない世界に飛び込むことは、
人間としての成長を加速するもっとも有効な手段であることを、
あらためて教えてもらった気がする。

堀江さんの件の余波もあって、最近ETIC.への取材攻勢が着ている。
しかし、正面から本当に大切な動きをとらえ、社会に新しい視点や勇気を提供し
てくれるような志の高い話が伝わることはほとんどない。
若者たちの意識が進行し、静かならも大きな意味のあるチャレンジが増えてきて
いることを、私の立場からももっと伝えていかなければならい。

PS.
ちなみに、この番組は、2月26日16:00くらいからも再放送されます。
見逃した方はご覧ください!

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2006.01.04

正月とおみくじ(宮城)

正月は故郷の徳島に帰ってきた。
実家では、両親と兄夫婦、そしてその子供たち、小学4年を頭に4人、
計8人が暮らしている。
甥っ子、姪っ子どもは、見るたびに大きくなり、
早朝から私を襲撃してくる。
今では子供だましはきかず、夜中になっても離れなかったりする。
昨年は寝たきりだった祖父も亡くなり、
年々、静かながらも、同じ正月ということはない。

そして、

○○さんとこのおじいいちゃん、この間家の前で車で轢かれて死んだよ、
近所の○○ちゃんとこは、子供ができたのに、奥さんに出て行かれてねえ、

などなどと母が繰り広げる世間話。
時に、そうした人生のダイナミックなドラマの主人公は、
同級生だったり、子供の頃からよくしっているおばさんとかだったりする。
そんな母も、つい数年前まで、祖父母の看病に一日の大半を費やし続ける、
ドラマの渦中にいた。

東京では遠くかんじる、人の世の生老病死ともいうものが、
田舎だとどうしようもなく身近にあるように感じてしまう。

考えてみれば、人の一生のなかで、本当に自分が好きなだけ、好きなことに
時間を使えるようなときは、ほんの一握りでしかない。
たとえば自分自身が健康で、申し分ない社会的環境にあっても、
子供がうまれたり、まもるべき人が倒れたりしたら、容赦なく束縛をうける。
歴史的な視野でみて、身分差別や、戦争の渦中にいたとしたなら、
制約された環境のなかで、犠牲をしいられることにもなる。

思えば、そうした人たちが捧げてくれたいのちや大切な時間に支えられた
うえに、今の自分の人生も成立している。

大げさ好きの自分としては、平凡な風景をながめつつ、
千載一遇のときを生きているんだなあ、
もっともっと今頂いている自分の生を、大切にしないとなあ、
などといまさらながらしみじみと考えたりしたのでした。

そうして東京に戻ってきて、今日はETIC.のスタッフと初詣。
ETIC.では毎年仕事始めに行う大切な年中行事でもある。

初詣ででは、誰が決めたわけではないが、みんなおみくじを引く。
大吉とかのわかりやすい指標もさることながら、みんなが大切にしているのは、
そこに書いてあるお諭し。

そこに諭されているのは、いつの世でもかわらない、
感謝、努力、忍耐、自然の理にさからうな、人の道をはずすな、というような、
ごく当たり前で、毎年同じようなメッセージであるわけだけども、
それを神様から一年のはじめに、
「あなただけよ」と告げられると、とても心に刺さったりする。

新年会では、みんなそのおみくじのお諭しを引用して抱負を語っていた。
なるほど、おみくじというのもありがたいものだなあ、とつくづく思った。

考えてみれば、いつの世も、さまざまな過ちは、そうした当たり前のこと、本末
を忘れて、自然を離れたところでの、エゴや過信から生まれてくるといえる。

神々が祭られた神聖な空気のなかで思いをはせていると、心が洗われ、謙虚
な気持ちで、追われるような毎日に忘れていた、大切なことを思い出させて頂
ける気がする。

お賽銭とたった100円のおみくじで、心身を清め、気を締めて仕事に臨めるなら、
こんなありがたいことはない。
今からでも遅くない。社員初詣ではおすすめです。

一年の計は元旦にあり、といいますが、節目を大切にしてく人にしかもらえない
プレゼントのようなものがあるだなあと、思った正月でした。
P1010010


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2005.11.24

渋谷で働く。。(宮城)

ETIC.オフィスが渋谷公園通りに引越してきて約2ヶ月。
なんとなくこの間、またITベンチャーの起業家の人々とのご縁が増えてきた。
恵比寿から渋谷。距離的にはたった一駅の違いにすぎないが、やはり「場」が与
える影響は大きいのか。

本日はランチをフリービットの石田社長とともにした。
彼は知る人ぞ知る存在ではあるが、インターネット業界では気鋭の起業家とし
て将来を期待されている。実際同世代にぬきんでた何かをもっている。
http://www.freebit.com/solution/emotion.html

彼は、私が経団連でソニーの出井元会長へのプレゼンの機会を提供したこと
が契機で親しくなった。その後彼は出井さんと仲良くなってしまい、ソニーから
は増資も受け、事業パートナーとなった。
ちなみに関係ないが、私とは同い年で、誕生日が一日違い。

彼のオフィスは道玄坂を登って、マークシティーを出たすぐのところ、ゴンパチが
入っているビルの中にある。
彼は超忙しいはずだが、ただETIC.がまた渋谷に来たよ、という理由だけで飯を
食うことになった。
そこで、地方の国立大学などで眠っている理系の才能を開花させるチャレンジを
できないか、という話題でもりあがった。

実はそれに共通する企みを、GMOペイメントゲートウェイの村松氏(大学の先
輩、ETIC.の恩人)からも先日もちかけて頂いていた。
村松さんは下記のファンドを立上げ、「web2.0」をキーワードに若い起業家の支
援を準備している。
http://blogfund.jugem.jp/
web2.0のコンセプトは、実はチャレコミ的世界にも通じるものがある。
http://ceonews.jp/archives/2005/10/web20_7map.html

さらには、まだ書けないが、もうひとつ、元気な渋谷のITベンチャーからも学
生支援のプロジェクトのオファーも頂いている。

うーん、いまはそういうことなのか、
あるいは渋谷というまちに帰ってきたということがそういうことなのか、
という危険な予感もしている今日この頃。


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2005.10.24

NPOでチャレンジする理由(宮城)

私も含め、NPO法人として事業を営んでいるみなさんは、よく「なぜNPOな
んですか?」と聞かれると思います。
そんなとき、どうやって答えますか?


あるいはCP(コミュニティプロデューサー)のみなさんなど、株式会社とし
てでやっている人でも、インターンシップの事業を、「なぜそんなに儲からないこ
とやってるの?」と突っ込まれた経験があるはずです。
特にベンチャー支援的な仕事もやってるし、おそらく傍からみれば、なぜNPO
なのか、もっと稼げる事業をやれるはずだし、そもそもお前がベンチャーやれよ、
などと理不尽にけしかけてきたりするわけです。
そこでたとえばNPO法人の仕組みの話しとか、理論的、客観的な解説をしても
わかったようなわからないようなでなかなか納得しません。意味もなく激高され
ることもありました。志を立ててやっていると語っても、正々堂々と商売の土俵で
戦わず、聖人君子ぶってスカしている、と思われるフシもあるようです。
最近では私は「利益の最大化でなく、価値の最大化を考えたとき、今の自分に
とってもっとも影響力を持てる仕事ができる選択として、戦略的にNPOという
スタイルを選んでいる」というように答えたりします。
「ビジネスよりも楽しいから、エキサイティングだからこのスタイルを選んでる
んだ」ということが伝わらないと、いかにもやんちゃそうな私たちがあえてこん
なことをやっていることがどうしても腑に落ちないようです。

ただ、本当に儲かる事業をやったほうがいいタイミングもやってくるかもしれ
ません。
常に今のスタイルでよいのか疑ってかかる緊張感をもてなければ、簡単に自己
満足に流れてしまいます。そんなとき、ビジネスならばはっきりと業績に影響
してくるので建て直しをしやすいですが、NPOなどの場合は始末がわるく、
いいことしてるんだからと思い込んでいるうちに、気付いたら芯まで腐ってい
た、という事態もありえます。

今、ちょうどチャレンジコミュニティ創成プロジェクトでは全国各地でリレー
フォーラムということで自らの地域で関係者、市民等を巻き込んだ議論の場を
つくっています。
http://www.challenge-community.jp/relayforum2005/
自らの組織のパフォーマンスによる求心力だけで、一対一の関係をステイク
ホルダーとつないでいるだけならば、NPOをしてやっている意味はなく、
営利を追求するスタイルでチャレンジしたほうが効率のよい成果が得られる
のかもしれません。
「フォーラム」というかたちでやるならば、ステイクホルダーや市民にいかに
問題の解決へ当事者意識をもってもらえるか、それぞれ自らの責任としての
自覚のもとに事業に参画をしてもらえるか、仕掛けたいところです。
もともと人の中にある、価値あることに貢献してきたい、という心の火種をた
きつけて、うねりを起こしていくのがこのスタイルの醍醐味といえます。
先日行われた飯塚や京都ではそんな可能性を感じました。
残りの地域でどんなことがはじまるか、今から楽しみです。

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2005.09.09

愛から始まるまちづくり(宮城)

チャレンジコミュニティ創成プロジェクトの全コミュニティプロデューサー(CP)
が一同に集うギャザリングとして福岡の飯塚市を訪れている。
情報産業都市の発展をささえてきたものは何なのか。

これまで年4回、東京で行っていたギャザリングだが、今年からCPのいる
地域で持ち回りで開催することになった。
飯塚市は、「アジアのシリコンバレー」を標榜し、わずか8万人の人口な
がら実際に大学発ベンチャーの輩出数では日本有数を誇るなど全国的に
も名を上げ、ITとベンチャーのまちとして市民にもそのコンセプトが浸
透している。

どうして人口わずか8万人のまちがここまで注目を集めるチャレンジが次
々に起こっているのか。
実は、地域の仕掛け人、キーパーソンの方々にお話を頂いたり、訪問した
りしてよくよく話を聞いてみても、ITのことを熱く語る人は一人もいなか
った。その一方で、よくよく話を伺ってみると、その華々しい発展を支え
る、素朴であるが強固な基盤がみえてきた。

九州工業大学の誘致に始まり、スタンフォード大学との提携やサンマイク
ロシステムズの誘致など、起爆剤となった偉業は、このまちを愛してここ
に縁があったひとたちをもてなすこころに魅せられた人たちが運んできた
きっかけからもたらされたものだった。
要するに、すべての奇跡は地域への愛情、人への愛情からはじまっていた。

長崎街道の宿場町として栄えてきた歴史が育んだもてなしの心であり、当
時の人々の夢を託された炭鉱のまちという過去も含め、チャレンジャーへ
のあたたかいまなざしが、多くの「よそもの」をも魅了し、まちのエネル
ギーを生み出してきた。
飯塚のCPであるハウインターナショナルの正田英樹氏が、他県の出身なが
ら「このまちへ恩返しがしたい」と、飯塚に根を張って、発展に尽くしてい
るのも、そうした魅力ある人々との絆があるからであった。実際に正田氏
の挑戦を支えようと40人もの市民が声を掛け合い、それぞれ資金を出し合
い、「市民企業」として誕生し、成長してきたハウの歴史がそれを証明し
ている。

情報産業とし飯塚の発展の、もっとも基盤にあったのは地域のひとたちの
そうした愛と誇りにもとづいたつよい絆であった。
今回のギャザリングの大きな成果は、そうした愛と情熱ある、地域を支え
てきた人たちと直接ふれあい、魂が共鳴するような場を共有できたことで
あった。
全国から集まった若きCPたちは、飯塚のみなさんの言葉や存在感に、心の
深い部分がが刺激されたのか、たった2、3日の短い時間にも得難い成長
を遂げた人もいた。


このまちの変革を支えてこられた最大のキーパーソンの一人であり、今回
も多くの感動をあたえてくれた縄田氏と別れる前にお話をする機会があっ
た。「若い人たちのエネルギーにふれて、日本も捨てたモンじゃないと思
いましたよ」と感想を聞かせてくださったが、最後に「言おうと思ってた
んですがね」と一言つけ加えられた。「宮城さん、気長にやることですよ。」
他の仕掛け人の方もおっしゃっていた。「長い営みの歴史のなかで培われ
てきたこと変革していくこと、失ってきたものを取り戻すことは、同じよ
うに時間をかけて取組んでいく覚悟が必要だ」
その言葉には、まさに地域を、人を愛し、そこに向き合う覚悟に裏打ちさ
れていた。
マスメディアなどで私たちが知ることなく、日本のどこかで静かに力強く存在
していると思われる、こうした見識のある方とふれあうことができるのが本当
のこのチャレコミプロジェクトの価値だと思った。

魂の高い響きとともに分け与えて頂くことができた、飯塚のみなさんの地
域への愛、人を慈しむ愛情は、私たちにとって、言葉ではつたえきれない
大きなプレゼ

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2005.08.09

期待に堪えうる器(宮城)

キューベットがはじめて開催するバーチャルボードミーティング(VBM)に参加
するために、昨日今日と、札幌を訪れた。

まず、出席者のお一人、日本のモバイルコミュニケーションの発展の立役者
である超大物、NTTドコモ元会長の大星公二さんは、キューベット代表横井
朋幸氏を、「保守的な北海道から生まれた突然変異」と激賞した。

大星氏は、実際その期待のあらわれとして、北海道経済産業局と大星氏が取
組んでいる中小企業支援の、通称「大星塾」における「学生会社探検隊」の事
務局を、横井氏に託している。さらには今回「こういった活動こそ、世の経営者
は支えていくべきだ。私が経済界に声をかけよう」と資金調達の支援まで言及
をしてくださった。もちろん大星氏ご自身が札幌の出身であるという背景はある
が、尋常でない肩の入れようといえる。
今回の会議では、大学の先生方に対してETIC.の実践型インターンシップの
説明などを行ったが、みなさん大変興味をもたれ、「こういうの、横井くんがや
ってくれるなら、いくらでも使わせてもらいたい」「既存のインターンシップに加え
て実践型インターンシップの協議会みたいなのをつくってみたらどうか」などと、
建設的なご意見を下さった。あまり人気なので、あえて私は某教授にそっと
聞いてみた。「横井くんは最近調子乗ってるとか生意気だとか噂されてませ
んか?」すると教授は、「起業するときから知っているが、生意気だった。でも
今は違ってきている。感じが違う。随分落ち着いきて頼もしい」
ちなみに、残念ながら今回の会議には事情で出席できなくなったが、北海道
NPOのドンで、「札幌市長を当選させた」という仕掛け人としても有名な北海道
NPOサポートセンター小林代表も、横井氏には一目おき、YOSAKOIソーランの
長谷川岳さん以来、久しぶりに北海道で力のある若者とあった」と評価して下
さっている。
今回の訪問で、キューベットが、CPとして地域で本当によいポジションを得るこ
とが出来ていることをあらためて実感した。
そんなこんなの期待、評価も、横井氏はじめ、キューベットのみんなの不断の
頑張りの成果であるといえる。横井氏は、はねっかえりの学生ベンチャーから、
やや大袈裟にいえば、低迷する北海道の救世主のような期待を受け、多くの
キーパーソンから応援される存在へと、1年間で変貌を遂げた。

しかし、本当の試練はこれからだ、という見方もできる。
キューベットに限らず、各地のコミュニティプロデューサーのみなさんは、その
潜在的能力から考えても、まっとうな努力を重ねれば、近いうちに必ずインフ
レ的なまでに大きく地域から期待され、ブレイクしてしまう時が来るはずだと
確信している。
地域の若者たちを元気にしていく光明を見出せない、日本の地域において、
誰もが手掛けることができなかった役割を担っているオンリーワンの存在と
してCPへ期待が高まっていくことは構造的にもほぼ予想できる現象である
といえる。

そのときに、それに堪えうるだけの自らの器、組織の器を、今から練り鍛
えておくことがとても重要になってくる。
組織として、事業として足腰が弱いと簡単に崩れてしまうくらいの重責が
待ち受けている。結局いくらオファーが増えても、その器以上の仕事もお金
も身にはつかない。意識的に足元を固めていくことが求められる。もちろん
その過程では責任を持てる範囲の仕事を選んでいくことも大事になる。

もうひとつ、今回、横井氏を支える長谷川奈月ちゃんがとても頼もしかった
のが印象的だった。いきさつ上、「学生会社探検隊」事務局を、まだ自分も
学生の身でありながら一手に引き受けている彼女だが、その打合せ風景
などをみていると、役所関係の方など、周りの大人たちが彼女に頼っていて、
またそれを毅然と引き受けている姿が絵になっていた。

いくら頑張っても、一人でできることはしれている。
そういう彼女のような仲間をどうやって集め、どうやってともに育っていくか。
CPには、身近な仲間を魅了し、信頼関係を築ける人間的成長が問われて
いる。

キューベットの活躍と、支援して下さる方々の期待を目の当たりにしつつ、
そんなことを感じた札幌訪問だった。

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2005.07.08

今年は8月6日 ETIC.夏の恒例イベント「cafe」について(宮城)

もうすぐ梅雨も明けて、本格的な夏の到来ですね。
ETIC.真夏の恒例イベント「cafe」、今年は8月6日土曜日
今回も田坂広志さんをはじめ、志高きアントレプレナーが数多く集まってく
ださる予定です。
ただ、このイベントも7回目を迎え、そこにこめられた意味を知らない人も
多くなってきています。
そこで、以下にあらためお伝えしたいと思います。

「cafe」は、ある起業家の人生を、突然終わらせた悲劇の日に端を発して
始まりました。
その彼、吉持彰博さんは、1998年、日本の食、農業、環境の問題に挑む
べく、大きな夢を掲げたNPOを立上げ、全国を駆け回り、そのビジョンに人
を巻き込んでいきました。一方でこの事業は社会的な反響は大きく、共感
する人は多くとも、その時点で事業に伴う収入はほとんどなく、夜中にホテ
ルで働いて活動資金や日々の生活費を稼いでいるという毎日でした。

そんな激闘の日々に明け暮れるなか、深夜に自動車で事故を起こし、
夢を見続けたまま帰らぬ人となりました。

自分が使命を感じている仕事に、集中して打ち込み、チャレンジすること
ができたらどんなにすばらしかっただろう、近くにいた私は深く反省すると
ともに、まったく勝手に、これを彼の残したメッセージだと受け止めました。
こうした高い志を持った人が、その想いを行動にすることができる、そして、
できれば仕事として、アントレプレナーとして命懸けて打ち込み、みんな
で助け合って価値を生出し、わかち合うことができる、そんな社会をつくっ
ていきたい。当時、そう考えることで、とても心が救われる気がし、このと
きの勇気が今も自分を励ましてくれています。
以来、ETIC.では社会的な課題に対し、ビジネスモデルをつくって事業で
取組んでいこうとするチャレンジを支えていく取組みに注力をはじめました。

閃光のように駆け抜けた彼の人生が遺したものは、そのままETIC.のソ
ーシャルアントレプレナー支援の事業の源流となっています。

考えてみると、彼のように、静かで透明な情熱と、不退転なパワーを持
ち合わせた男と、その後も出会ってないし、さらにそんな人間が積み重
ねる歩みの中で必ず奇跡を起こしていくことを既に知っている自分とし
ては、今の日本に彼が必要だった気がし、あらためて考えれば考える
ほど悔しい気もします。
それ以上に、遺してくれたものが大きかったと思えるべく、くやしさを明日
へのパワーに変えていきたいです。

また、書いているうちに大仰になってしまいました。
導入のつもりがだいたい書いてしまったのですが、さらに詳しくは下記
の、このイベントがスタート以来使われているストーリーをご覧下さい。
当日はあまり語らないのですが、そんな日が8月6日です。

■「cafe」とETIC.のストーリー

   日本の農業/環境の未来を憂え、
        若きソーシャルアントレプレナーが逝った夏...
 
故吉持彰博さんは中央大学大学中の学生時代から、将来自分で事業を起
こしたい、という志を抱えて、96年くらいから、当時のETIC.の活動に積
極的に参加していました。
そこで、彼の持っていた食や農業、環境等への問題意識に対し、
「今の自分の力で、できること、アクションをおこせること」というこ
とで、自ら選んだ会社で、インターンシップを1年間経験しました。
そしてそこで培った経験と人脈をもとに、卒業を待たずして、有機野菜
等の卸しや食品関連のコンサルティングを行う事業をはじめました。
既に何件かの取引先もあり、新聞でも取り上げられるなど滑り出しは好
調でした。

その一方で、彼が事業を進め、業界の現状を知るにつけ、彼の前に
日本の食や農業の抱える危機的状況ばかりがクローズアップされてくる
ようになりました。有機野菜の流通なども、このままでは、日本には品
質を証明する認証制度もなく、なによりも携わる当事者たちに事業とし
てのビジョンや戦略、そして夢がないことが日本の農業の問題に思えま
した。しかし、個人で事業を始めたばかりの若い彼に、その問題は独り
の力で立ち向かうにはあまりにも大きすぎました。

そこで、彼が取った選択肢はNPO(非営利組織)を立ち上げ、ニュー
トラルな立場で多くの志ある力を集め、また次世代を担う人を育ててい
くことで、当時の彼が生出しうる最大のインパクトを社会に与える、と
いう挑戦でした。
大学の卒業が決まった頃、既に彼は順調に進み始めていた自分の事業を
なげうって、彼にできる最善・最速のアプローチとしてまず「有機野菜
の認証団体の設立」「オーガニック農業インターンシップ実施」という
当面の二つの目的を達成すべく、志ある理解者のコラボレーションを促
していくNPO活動への取り組みを始めました。
志を定めて以来、彼の動きは驚異的で、3ヶ月ほどの間に栃木、静岡、
京都、和歌山、福岡、熊本、宮崎など、同志を求めて全国を行脚し彼
と共鳴する有志の輪は急速に広まっていきました。
その結果、夏を迎える頃には第一回の「オーガニックインターンシップ」
の宮崎の農家で8月16日から開催することが決まり、彼の戦略のファース
トステップのスタートまでこぎつけました。

そして、その開催を半月後に控えた1998年8月6日未明、交通事故死とい
うかたちで、全力疾走で駆け抜けた彼の人生は突然のピリオドを迎えま
した。23歳の若さでした。

8月8日に行われたお別れ会(通夜)には、彼を偲んで、300名以上も
の学生やアントレプレナーが集まりました。全国行脚でたった一度しか
会っていない人たちも多数訪れ、人の思いが持つ影響力の大きさに驚か
されました。
彼の人柄、その生きざまがあまりにさわやかだったからか、お別れ会も
不思議な場所になりました。そこに集まった人たちは心から彼の死を惜
しみつつも、彼の生と死が自分たちに遺してくれたものは何なのかを、
むしろ前向きに語り合いました。彼の分まで、今生きている自分に与え
られた時間を大切にするためにも、これからそれぞれがどう生きていく
べきか、朝まで語り合いました。信じられないようなさわやかな
「お別れ会」でした。志をあらたにし、大きな人生の転機の日になったと
いう人もたくさんいました。

現在、日本において、経済はもちろん、環境、教育にせよ問題が山積しつ
つも、閉塞感が漂い、皆が漠然とでも危機やを認識するなか、自らその
問題意識を行動に起こせる人は多くありません。
そんな中、私たちは、その取り組みがどんな分野であっても、自分の責
任で行動を起こしていける人、価値を生出していくと同時にその志を継続
していける人を、尊敬の念をこめて「アントレプレナー」と呼びたいと思
います。彼は、最後まで挑戦をやめなかったアントレプレナーでした。

彼の死から1年を迎えようという99年の夏、彼と親しかった仲間の間で、
彼の一周忌をどんなかたちで迎えようか、という話になりました。そして、
私たちにとって永遠に追いつくことのできない存在となってしまった彼の
生きざまを思い、また自らの襟を正す機会として、未来へ挑戦していく志
のある人たちが集い、新しいコラボレーションや、可能性を生出していく
場を、毎年8月につくろう、ということになりました。
ささやかでもそんな機会なら、志をともにできる、彼を知らない新たな
アントレプレナーとも共有できるんじゃないか。そんな思いから、彼の志
にちなみ、cafe -creative action for the earth- と題した交流会が始
まり、ETIC.が開催する夏の恒例行事となり、ETIC.のソーシャルアントレ
プレナー支援の取組みの源流となりました。

そして今年、2005年8月6日の夜が7回目のcafeの日になります。


 間違ったら反省する
 失敗したら再度挑戦する
 どんな荒野にも 歩いているうちに自然と道ができるものだ 
    魯迅

             (吉持さんが絶筆のノートに遺したメモより)
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2005.06.15

父の日(宮城)

先日徳島の実家で祖父が亡くなった。
94歳の大往生。
祖父は戦争にも行き、その後長く小学校の校長をつとめあげた。
自分はその明治気質の祖父に育てられた。

祖父の存在は、
まさに、家の中に校長先生がいる、というかんじで、
長幼の序は絶対。キビシク躾けられた。
とくにモノを粗末にすることにはうるさく、
食べ残しなどは一切許されなかった。
自分がなんとなく昔から年寄りくさいといわれるのは、
この育ての親である祖父と祖母の影響であるにちがいない。

あたりまえだけど、思えば祖父は与えてくれる一方の存在であった。
しかし、自分はまったくその恩に報いることがなかった。

たしかに私が大学で上京するころに既に80を越えていた祖父母は、
いわば人生の黄昏時にさしかかり、病院での生活を送っていた。
すぐに忙しくなってしまった私は、そんな祖父母にたいし、
東京で頑張りぬくことが、その期待に応えることだと勝手に思っていた。

覚悟はしていたはずなのに、あらためて危篤の報をきいたとき、
しまったって、急に目が醒めたきがした。

もっとも身近で、お世話になった人にさえ、何ができただろうか。
わかっているつもりで、
あまりにも大事なことを忘れて生きていることが多い。

今年の正月、好物だったクッキーをもって見舞いにいったとき、
じいちゃんは珍しく元気で、驚くほど多弁だった。
「おまえのやってることはなかなか世の中は理解しれくれんかもしれんけど、
 気にするなよ。大事なことだろうからしっかりやれよ」
実は仕事のことなどもあまり話したことがなかったので、とても意外で、
じいちゃんよくわかってんなあと、妙に関心したのを覚えている。
次に会えるときには、自分の出ているDVDとか持っていこうかと思っていた。
結局それが自分への最後の言葉になった。

今週末は父の日。
後で後悔しないように、お世話になった生きている人たちに何ができるか。

そして、祖父がなくなるときにくれた宿題というか、プレゼントといか、
あのくやしい気持ちを忘れずに、
その恩に報いるような人生をおくりたいと、あらためて思います。

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2005.03.15

家族

先週山形出張にいった。
そこにはマフィアの如きディープなコミュニティーが。

山形にいったのは稲葉裕代表率いる山形ベンチャーマーケット(YVM)
に訪問するためである。
そこで、稲葉氏を取り囲む支援者のみなさんに話を聞く機会を得た。

稲葉氏が学生時代がからバイトをし、店長まで任されたリサイクルショップを
経営する社長も訪問した。
彼は今回YVMの仕掛けた「アジアンルルド」プロジェクトのメインスポンサーに
もなっている。
元々実家が農業を営んでおり、自身も20代は農業に携わっておられたという。
農業の経験などを足場に、自らの仕事と人生について、独特の哲学をお持ち
の方であった。

彼が話してくださったことのなかで、「家族」という言葉が耳に残った。
「俺は二十歳の頃には総理になることも夢見ていたような人間だけども、今は
結局自分の愛するもの、親しい人たち、最終的には家族の幸せを守る。
それが自分の人生。ただ、そのために、仕事も命がけ。」
そして、「稲葉も平谷も(YVMの「アジアンルルド」担当者)家族みたいなもん
だと思って大事にしているんだ。」
他の支援者からも異口同音に同じような話がでた。そして、「稲葉のことを信じ
ているし、彼から自分も教えてもらってる」と。稲葉氏のプロジェクトの出資者と
なっているある人は、「稲葉、お前を信じているから、たとえお前が人を殺した
としても真っ先に知らせろ。俺が保証をしてやる」と激烈な言葉で励ましてくれ
たらしい。
そうした人たちに育てられてきた稲葉氏の中にも、当然彼等の恩に報い、
期待に応えたいという責任感があるし、自分がしてもらったように、後輩たちに
もしてあげるのはあたりまえだと自然に引き受けている。
そこに脈々と先輩たちの哲学の遺伝子が続いていることをかんじる。

チャレンジする理由のある、人がお互いに成長しあえる場をつくりだすというこ
とが、チャレンジコミュニティをつくる基盤になっていく。
だとするなら、人と人との間に、家族のような絆が生まれるためには、なんて
ことも考えていかなければ。

そんなことを山形で考えてました。
マフィアのような、ディープなコミュニティ。
その絆は時には重荷でもあるけれど、はまれば抜け出せなくなる魅力があるなあ、と。


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2005.02.04

牛丼をめぐる闘い(宮城)

「米国産牛肉全面的早期輸入再開を求める会」
http://kaikin.jp/
さまざまないきさつがあり、なぜか私はこの会の代表幹事の一人を務めている。


「米国産牛肉全面的早期輸入再開を求める会」

筆頭の代表幹事はブックオフの坂本孝社長。
BSE問題によって中断されている米国産牛肉の輸入再開に向けて、焼肉、牛丼な
どの業界団体等と有志が連携し、署名活動等を通して政府等へ働きかけをしよう
という取り組みである。


先日記者との懇談会ということで、かるい気持ちでギリギリの時間に行ったらカ
メラが4台、総勢20名ほどの取材陣。立派な記者会見のような大仰な状況が待っ
ていた。
その模様が、今週末のフジテレビEZTVで放映される、という話になっている。
そこで、坂本社長と吉野家安部社長に挟まれてちょこんと座っている私の姿を確
認するして頂くことができるかもしれない。

なぜ私が牛肉なのか。
いきさつの詳細はここでは割愛したいが、直接的には昨年末の通称牛丼問題
(BSE問題)を考えるシンポジウムに招かれたとき、吉野家
の安部社長はじめ当事者のみなさんにいろいろ偉そうにまくし立ててしまった事
件が契機になっている。

問題の詳細は上記のWEBをご覧頂きたいが、厚生労働省、農林水産省、
食品安全委員会、そして消費者団体等の各組織の立場、都合が優先されるなか
で混迷しており、事実上輸入再開されてしかるべき状況にあるにも関わらず、
事態が進行しない。すなわち、現状の措置は、かならずしも国民の利益を反映する
ものでなく、輸入再開は先延ばしとされている。

詳しい事情を知るにつれ、私の中にも義憤というか危機感が生じてきた。
今回はたまたま国民の安全を守るためということで輸入再開が延期されているが、
同じような構造で各関係者の利益を守るために、本当に正しい判断がされず、別
のケースにおいては危険を温存する結果になるということも日常的に行われてし
まっている状況が、今回の裏事情からも容易に想像される。
当事者企業でも、政府、行政、さらには行政主導でつくられた機関等だけでも機
能しない困難な問題がそこに潜む。
BSEだけではない!そんなことへ対処するNPOをつくるべきだ、ということその場
で声高にいってしまったりしているうちに今回のような不思議な立場となった。

さて、話はマスコミとの懇談会に戻るが、メディアの関心は高く、期せずしてTV
カメラが4台も入り、緊迫した記者会見的な場となった。
集まった記者のみなさんは、社会部等でこの手の問題を追いかけている十分
勉強もしている人ばかりで、私が当初想定していたような、「なぜあなたがこん
なことやっているんですか?」といったいやらしい質問もなかった。
最初のブックオフ坂本社長の熱烈牛丼ファン宣言の挨拶にも、私の偉そうな分析
にも、焼肉業界団体の方の切なる訴えにも、記者は淡々とメモを取ったりするば
かりで緊迫した雰囲気は崩れず、その後は輸入再開に向けての専門的な質問
が相次ぎ、こちらも出方を誤ったら攻撃されかねないような一触即発の空気のよ
うにもみえた。

その場を変えたのは、吉野家の安部社長であった。
もう、彼が話し始めたころから不思議と会場の雰囲気が変わっていた。
胸襟を開いた姿勢で、「政府を動かす鍵はあなたがたマスコミの方々も握ってい
る。ぜひ理解頂けるならみなさんもできることをやってほしい」という旨の話を
されると一気に場の雰囲気がかわって、記者からも笑顔がこぼれ、身を乗り出し
て話を聞きだした。そして彼等からこの会に対する提案まで出るようになってき
た。
これが人柄というものか。と感心した。
仕事を愛し、牛丼を愛する姿勢、そして彼のこの問題に真剣に取組み、
闘ってきた迫力が、一気にその場にいた全員をこちら側陣営の当事者に変えてし
まった。

意味もなく長々書いてしまったが、本日言いたかったのはこのこと。
ときに敵となるシビアな存在すら見方にする情熱と懐の深さ、そうしたコミット
メントを受け入れるこちら側のスキ、そしてそのような心が通い合う場づくり。
人を動かすこと、コトを動かして何かをプロデュースしていくとはこういうこと
なんだなと痛く感心したしだいです。
本当に何か一緒に仕事をさせて頂きたくなる方です。

私も単なるもの好きでこの動きに参画しているわけではなく、
ここではいえないけれど、ETIC.のスタッフも了解してくれる私がここに参画す
る事情もある。そして、今後へむけての私なりの企みもある。
残念ながら今はいえないが、いつかそれが日の目を見るときがくるはず。

丼シリーズその2 終わり。


投稿:by スタッフ 2005 02 04 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.04

田舎の親子丼におもう(宮城)

宮城です

正月田舎の徳島で、駅前の定食屋に入りました。
何の変哲もない古い店で、親子丼を頼む。
はたして、うまかった。驚くほど。

その親子丼、べつに能書きもなく、なぜうまいのか説明できないが、
とにかく体にしみいる。
そしてカウンターから顔を出した主人の60代くらいのおやじの顔がよかった。
よく見れば厨房は隅々まで磨かれ、店にはチリひとつない。
気持ちよい店だった。

それにしても、田舎で出会うなにげない店で驚くほどうまいことが多い。
時々なんでだろと考える。

東京は人が多いから、まずい店でも成立しうる、という意見もあるが、
それでは説明がつかないほどに田舎のうまさが際立っている気がする。

みなさんなんでだとおもいますか?

自分がそのとき店のオヤジをみてあらためて思ってしまったのは、
日常の平凡な仕事のひとつひとつに魂と誇りがこもっているような人に、
田舎にいくと出会う気がするということ。

まずい親子丼を出すことは、そのまま自分の生きている意味を汚すことになる。
そしたら東京のチェーン店などで口にしているのは、誇りのない無責任の産物か。

そのいきざまは、三十年、五十年という歳月をかけて毎日磨きあげられたようで、
さらにいえばときに数百年の積み重なった地域の伝統を受け継いだ輝きを
かんじるときもある。

今こそそんな田舎モノの仕事といきざまを、若者たちが必要としている気が
します。カラダでかんじてもらいたい。
そのためにも、田舎モノたちと、その仕事の場所をもっと全国に開放せねば。

と、やや大仰ですが、
田舎に帰って、あらためてチャレコミ事業の大切さを実感した次第です。

今年もよろしくお願いいたします。

投稿:by スタッフ 2005 01 04 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック